2006-08

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ブランドの作り方。

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すっかりお盆休みも終わって一気にいつものモードになっている方が多いと思います。子供達も夏休みの宿題に焦り始め、お父さんも何かと忙しいこの時期ですね。でもできるだけ手を出さずに自分の力で何かを創るということを経験させるように心掛けて下さい(笑)。ところで、最近の夏休みの宿題は一体どんな感じなんでしょうか?デジタル化が進んでTVゲームばかりしている子供達にどんな宿題が出ているのか?凄く興味があります。

僕は結構して女房はいるけれど、子供はいません。なので判らない部分もたくさんあるけど、今思うと子供の頃の夏休みの宿題あたりから、今で言う「企業のブランディング」のように自分の個性やアイディアを創って行くという事が「始まっていた」という気がします。いまや企業では1人で何かをする場所ではないのだから、プロジェクトを立ち上げてチームワークという形で会議をしたり企画案を出したりして各企業の「ブランド」を作り上げて行く…。そんな風に企業が気づいたのは「消費者」の価値観やセンスのレベルが向上し、一方的な物売りや営業では「もう生き残れない!」って思ったからだろう。しかしながら未だに進歩のない企業は山ほどある。中には「ブランディング」なんていいながら一部の人間だけで盛り上がっていたりする…。それじゃ昔から何も変わらない体質で、逆に周りから嫌われ者扱いなんてこともあったりする。君は真面目すぎるとか言われたりして…。そこで小学校の夏休みの宿題を企業に例えてみると、学校の夏休みの宿題が大きなプロジェクトで、ディレクターの立場になっているのが先生方。そして社員としての生徒達は「宿題」そのものをやり遂げるために先生に相談したり、やり遂げようとする意欲とみんなで宿題をして提出するというところに学校としてのプロジェクトが成功し、学校として、教育として1つの計画が成し遂げられるという結果になる。そこで初めて学校(企業)のブランディングが確率するのだと思います。何気なくこなしていた宿題に置き換えて考えてみると、実は行動力や企画性のヒントがたくさんあったように思える。何をみんなですればいいのか?ということに気がつくための大事な経験だったのではないかと思うのです。グラフィックでもWEBデザインでも、営業でも販売でも、そして夏休みの宿題でも、要は何でも同じ。実力を引き出し、それを活かす事ができないまま予算を使ったり、無駄な時間を過ごす。その結果、何も変わらないという戦略として惨敗の結果に…。日本の企業全体ではないけど、悲しいかな現実としてそんな感じの企業やお店もまだまだたくさんあります。これからの企業の成功は、みんなが1つの目的に向かって全員でやり遂げるということ。子供の頃の宿題をやり遂げるのとそれは何ら変わらない。

需要と供給、すなわち作り手と消費者のバランスは年々難しくなっているという現実。そこに各企業は「自社のブランド戦略」と「没個性からの脱出」を図り始め、そして気づいたはず…。今何をするべきなのか?何を武器にビジネスとして成功させるのか?そして個性=人間が作る常に独創的な発想とコンセプトをしっかりとした柱にして進んでいかないといつまで経っても変わらないのです。やっぱり僕は「人は独りでは生きて行けないのだから…」という事を改めて認識するのです。もちろん、それが言えるのは企業だけではない。学校や地域の環境問題、政治でも何でも「ブランディング」という没個性脱却こそ、みんなが平和で思いやりのある人間達に戻れるような、そんな社会になれるような気がします。みんながみんな同じ方向を向いて進んで欲しいものですね…

最近のニュースでは、おバカな「花火族」なんて人達がいる。でもそんな迷惑な若者を創ったのは上に立つ大人達。先日のシュレッダーの事故の件でも、近くにいる親や大人達に責任もある。かなり昔からシュレッダーなんてものはあったけど個人情報保護法というやっかいな法律のお陰で一般家庭に入り込んだ訳だし。責任はどこに?なんて言ってもきりがないのです。すべてはそれを始めた大人達、それを作ってしまった人達、それを許している国の法律なんですよね。自動車だって事故が起これば人間の死に至る確率は高いのに、判っているのに作り続けている国や大人達。そしていつも思う事だけど、事件や事故が起きてから初めて対応策を考える…なんてが多すぎる。そんな状況の中、果たしてこの国の「ブランド戦略」はありえるのか?。根本的な見直しが必要な気がしてならない今日この頃の僕であります。

という訳で、今回もやや重な話題になってしまいましたが、この国で働く人たちが「ブランド」の大切さを意識すればもっともっとこの国の経済も環境も活性化するように思うのです。そんな事を願いつつ、目黒区中目黒からお届けしました。

追伸:今年のSei2の夏休みは、9月20日~5日間ほどの予定です。
   各クライアント様、各スタッフ各位。秋休みさせていただきやすので、
   どうぞよろしく~。

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勇気と決断。

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暑い、暑い…、雷、雨、そして台風…。これが夏なんだと再認識しながら今日のお題目は、「何かを始める」ための勇気と決断についてお話しましょう。趣味でも仕事でも、そして結婚でも人はその時々で勇気と決断が必要な時があります。これは後に自分に反って来る訳なんだけど、実は自分に反ってくると解っている人は意外と少ない。自分の事ばかり言っているのに実は考えていない。へんな矛盾を感じる事が僕はよくある。なぜ?でしょうか…。そこには「自分を見失っている」からだと僕は思うのです。自分が解らないから自分のことを守りたい。そんな気持ちの一心で人はそんな風になってしまう。仕事をしていても自分の時間尺度から物事を考え、そして行動する。よく「忙しいから」、「時間がないから」なんて当たり前のように話したりしている人がいます。でもよくよく考えてみると「仕事をしているんだから忙しいのは当たり前」だし、暇な仕事なんて仕事じゃない。そして「時間がない」は自分でそう決めているに過ぎないと思う。時間も自分で作れば幾らでも、どうにでもなったりします。この時間の使い方が上手い人が本当の意味でデキる人?かな。

僕はここ数週間でいろんな事を考えました。その理由の1つとして7月24日の「大切な人の死」。その人の人生をいろいろ想像したりしていると「自分はそういう時、何を思い、考えるのだろう…」。死ぬ時は自分以外の人の事をちゃんと考えられるだろうか…。そしてその大切な人は死への決断をどんなタイミングでしたのだろうか…、等と考えてしまった1週間です。死ぬ事も医者が決める事じゃなく、家族もまたその人の死を決める事はできない。結局自分自身があの世に向うための覚悟や決断をして始めて逝くことの重さや尊さを噛み締める…、なんて僕はそんな風に思った。そして人は「運命」なんて言葉をよく使う…。そうなるのが運命だ、とか、運命的な出会い、とかとか。あたかも向こうからきたように言ってしまうけど、実はこれも自分でそこに向っていた。ということに気づかないでいたりする。「運命」という字をよく見てみると「運ぶ命」と書いてあります。そうです、自分でそうなるように気持ちもモチベーションもすべて「そこに」向っていたのは自分でした。なのですよね。なんだか難しい話になってしまったけれど、要は「運命は変えられる」ということ…。大きく大げさに考えるのではなくちょっとした出会いや仕事の流れも全部自分が関わってきたから起きる事なんですよね。逆に「宿命」という言葉は「宿る命」。これは間違いなく自分ではなく必然的に起る既に決められた現実。自分ではどうにも変えられないような事実が存在する事を意味します。

勇気と決断。その言葉の意味は、自分のやるべき方向性を決めながら、いい人生のための最も重要な決断。それによって自分に関わってくる人や仕事が「運命のように」動きながらやってくる。という感じですかね。そして、僕の座右の銘でもある「この世は修行」。全てはここに尽きるような気もしてくる。何かをする時、何かを創る時、何かを始める時…。そこから何かが始まり運命を創っていく…。仕事も恋愛も全て自分が仕向けた運命そのもの…。そして、この仕事も「人と関わり何かを一緒にする事」だと僕は思う。そう考えれば仕事が嫌だなんて気持ちはありえない。そんな気がする。

今回はデザインとは違う観点から書いてみましたが、たまにはこんな話も誰かのためになるのかなと…。でも、僕の中ではぜ~んぶ同じ、1つなんだと考えています。日々精進、そして「この世は修行」なのだから。いいあの世に向って僕は走り続けますよ。なんてカッコ良すぎですかね(笑)それでは、また。まだまだ暑い日が続いています。皆さんもちゃんと水分補給してお仕事にお遊び、頑張って下さい。今年も残すところあと4ヶ月なんだなぁ~。
という訳で、遅ればせながら、残暑お見舞い申し上げます。

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名前から始まる。

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ずいぶんとしばらくぶりです。ここ数日は熱中症で具合が悪くなりそうな暑さですね。いかがお過ごしですか?ちゃんと水分をとって健康管理に気をつけましょう。とかサラッとした出だしでしたが、すみません、更新してなくて(汗)…これじゃあブログじゃなくてHPじゃん!って感じですよね。ごめんなさい。

さて、今回のお題は「名前」です。よくよく考えてみるとこの名前は人、会社、商品、種類を分けるための名前等…、世の中の全てのモノにこの「名前」があるのです。例えば人の名前というのはこの世に生まれた時、とうさん、かあさんによって考案されたその人物を特定する役割として名付けられる。おじいちゃんの場合もあるようですが…。その人に付けられた名前は生まれてから、そして死んだ後でも魂と同じように残るものです。名前の意味や画数にこだわる親もいれば、全く雰囲気とかイメージで付ける人、それぞれいろんな付け方があると思うのですが、僕が常日頃思う所で言えば、その人の名前はその人をちゃんと語っていて太郎ならその人は太郎らしいキャラクターをちゃんと持っている。でも、世の中に太郎はたくさんいるけど、どの太郎も決して同じじゃない。でも太郎イメージがちゃんとあるんですよね。もしかするとその名前によってその人の運命だって変わる。会社でも商品でも、まず企画段階で議題になるのは「ネーミング」や「社名ロゴ」。そのネーミングやロゴによってイメージされた商品や会社はしっかりとその名に相応しい形へと向って行く、そんな気がします。普段何気なく見ている商品名やブランド名もそんな風に考えたりしているとちょっと興味深いですよね。そしてデザインと名前の関係が人々の生活に自然と存在しています。

例えば一般的によく使うツールとして「名刺」は自分の名前を相手に伝える役目がありますが、インパクトのある名前ならともかく、印象が残る工夫を考えるのであれば何も本名でなくても「芸名」とか「ペンネーム」の方がよっぽど効果的って思います。ここ最近の僕のデザイン制作の中では、化粧品関連の作業が現在進行中です。もちろんネーミングから商品ロゴ、広告販促等に至るまでプロデュースするような形で関わっています。特に商品のネーミングの難しさは今回の作業の中でも痛感しました。その商品を世の中に展開していくための広告宣伝には、まずネーミング=名前という大事なモノから始まるのだと思う。よくよく考えて行くと名前もデザイン、なんですよね…。できるだけその名前にこだわって育てて行くということ。人も会社も…。そんな風に思います。

何気なく使っている名前もちゃんと意味がある訳で、「デザインの始まりは名前から」な~んて、大げさかな?(笑)イメージもデザインも名前があるから創る事ができる。というように僕は思います。そして、自分の名前の意味や運命をちゃんと考えた行動。これって凄く大切にしなきゃいけない気がします。最近はいわゆる「スパムメール」がよく来るけど、この女性の名前とかってもしかしたら本名かもしれないけど、なんか嘘臭い…。これは間違った名前の使い方のいい例ですよね。それとあの現実味をおびたかなりの文章力のある内容を見る度に、その力を何か違う事に使えばいいのに…。って思うのは僕だけ?(笑)

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sei2prof
グラフィックデザインをはじめ、
企画力とコンサルティングを武器に
つねに新しいデザインを追求しながら
熱く走り続けて20年余・・・。
デジタルデザインが当たり前のいま、
切った、貼ったのアナログデザインの
経験を活かし、あくまでもMacを
道具として使うデザイン中毒者。

このブログでは、世の中の全て、
身近な物にもデザインは存在する。
という観点で熱く語ります。
楽しくなければデザインじゃない。
遊ぶように前向きにってことで・・・。


・日高 聖二 Seiji Hidaka

・神奈川県川崎市生まれ

・10代から独立心が強く
 様々な挫折をしながら経験を積む。

・21歳、家族の勧めで広告業界へ
 営業と版下のノウハウを覚えながら
 独学でデザインの基礎を身につける
 20年以上のデザイン経験者

・2003年 12月2日 デザイン会社
 SEI2 GRAPHICS&CO. 設立

・座右の銘:この世は修行

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