2007-04

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ロックと芸術の共犯。

うぅ風邪が治らない…。咳も出ると言いつつも煙草を吸ってしまう今日この頃。何となく不安定な天気ばかりで春はちゃんとやって来るのか?このまま梅雨になって夏が来やしないか心配になっているSei2です。みなさん、お元気ですか?

さて、今回のお題目は「音楽とアート」という感じでお話してみます。僕が好きなアーティストの1人でもあるアンディ・ウォーホル。彼が手掛けたCDジャケットのポップアート作品がある。いくつかある中で僕が好きなのは「黄色いバナナ」が描かれたヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ(1967年)のジャケット作品。このCDは、プロデュースまでもウォーホル氏自らの手によって作られた名盤中の名盤とされています。特に1曲目の「サンデイ・モーニング」は、聴いているだけでどこか懐かしく、自分が子どもの頃、傷ついた時の切ない気持ちが蘇ってくる。その感じがたまらない。この曲がロックか?という位、スローな曲と彼らの声。独特の音質と世界観。そしてウォーホルのアート。

banana1967.jpgこのアルバムにある彼らの楽曲のほとんどは「ドラッグ」や「幻覚」、そして「現実逃避」という危険な香り漂う世界、そしてエロス。確かに「ヘロイン」なんて曲もある。ブックレットの日本語対訳の歌詞の世界からもはっきりとそれは解る。そんな彼らの音楽性とウォーホルの単なる黄色いバナナの絵は見事に調和し、1つのジャケットとして完成度も高い。気になっていろいろ調べてみると、60年代当時、ウォーホルのアトリエ兼サロンだったファクトリーに毎日のように人が集まり、その中でも無名のミュージシャン達をかわいがっていたウォーホルは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドでもあるルー・リードとジョン・ケインらに出会う。そして、そのノリでだったのか、そうでなかったか、この黄色いバナナをモチーフにした1stアルバムの発売となりポップアートとロックの今で言うコラボが成立した。当時、もちろんアナログレコードだったこのジャケットは、バナナのヘタ部分に小さく「PEEL SLOWLY AND SEE」と記され、シールのように剥がせるようになっていた。そして、剥がすと「ピンク色のバナナ」が出てくるという仕掛けがあったらしい。こういうウィットの効いたセンスは日本では見かけないけど、なんともユーモアたっぷりで、楽しんで作ったであろう様子が伺えるジャケットだと感じる。ウォーホルの楽しみながら描いた姿が見えてくる。そのピンクのバナナの事はご想像にお任せするとして、なぜバナナなのかも本人に聞く事ができれば、是非聞いてみたいところです。さらにジャケットに描かれたバナナの右下にははっきりと「Andy Warhol」の文字。まるで彼のCDかの如く、そのロゴは記されている。おそらく当時は1つの事件であり、アーティストの名前より目立つウォーホルの主張は、音楽とアートは「こうありたい」とでも言いたかったのか、そんな風に思えてくる。ちなみにアナログ盤は、左上にバンド名が入っていたようだが、右の写真はCD盤のデザインで、表紙だけみたら本当にウォーホルが歌でも出したのか状態ですよねぇ。(笑)ちなみジャケットのデザインはウォーホルではない…。

明らかにこの世界観には1つのトーンとして確立した、音楽とアートは融合する的な「共犯」が作り出したジャケット。単純であるがゆえにこのインパクトは素晴らしさと、白地に黄色のハッとするようなコントラストは素晴らしいと僕は思う。紙の白を活かし、白を色として使う。そのための黄色。そしてバナナというモチーフ。これを見ていると、何もしない事がいかに強く、そして忘れられないデザインとして見る人の心に残る。なにもしない美しさとはこういう事なんだと感じられずにはいられない。作風を活かしながら遊び心と楽しさ。そしてアンダーグラウンドな音楽とアートの融合は、違う世界を創り出す。単なる思いつきで完成したかもしれないけど、その時代のポップアートの中には、いつもメッセージの強い曲が流れていたと…。そう思うのです。

ってな訳で、こんな風に考えていると、僕はデザインを作り出す時、何か違う「たし算の発想」をしたくなる。例えば「ロックと芸術」のように1つにしてしまうデザイン力を楽しみたい。そして、デザインの仕事以外でも、ノリとアイディア、ウィットの効いたセンスは、楽しく考える事で生まれてくる。そう信じています。デザインと同じように新しい可能性は至る所にあるのですから…。なんてな。

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テーマ:デザイン - ジャンル:学問・文化・芸術

ユビキタス時代と欠落

なんでこんなにも不安定な天気なのか?等と思いながら日々忙しく過ごしております。ここ数日は風邪を拗らせながらも仕事は休む事ができず、咳と鼻水を出しながら中目黒にいます。こんな時はさすがにお客様は来て欲しくない…な~んて思う。だって、うつりますよお(笑)

さて、ここ数年で指先でなんでも操れる時代になり、便利な生活環境は当たり前になりました。家電で言えば本体にユビキタスがあったのに進化して何でもリモコンだし、最近ではカーオーディオまでリモコン操作が当たり前になっている。あの運転しながらのボリューム調節が良かったのに…(笑)。「ユビキタス」という言葉が反乱し始めたのも、そんな生活の便利さを追求して来た生活家電メーカーや携帯電話市場のお陰?であらゆる物にこの技術が入り込んで来た。この「ユビキタス」とは=それが何であるかを意識させず(見えない)、しかも「いつでも、どこでも、だれでも」が恩恵を受けることができるインタフェース、環境、技術のことをそう呼んでいます。この言葉は、1991年頃に米ゼロックス社における「究極のインターフェース」の理念での論文によって登場し、その後、日本人のプロジェクトによって日本で使われるようになった1つの技術としての言葉です。日本では「指先で簡単に!」みたいなところがあって、「いつでも、どこでも」という事で言えば、生活環境の中にはたくさん当てはまる商品がある。例えば、手軽にお茶が飲めるペットボトルも、この「ユビキタス」かなと。今までお茶を飲む時、お茶の葉を急須に入れ、お湯を沸かし注ぐ。という伝統的な作法でお茶を飲んでいた。玉露なら人肌に冷ました湯で柔らかくしてから注ぎ嗜み、紅茶なら沸騰した湯を注ぎしばらく蒸らす。中国茶なら茶器を暖めて香り付けをしてから…とか。しかしながらペットボトルによってひと捻りでいろんなお茶が楽しめるようになり、そんな作法やうんちくも必要がなく欠落してしまった。そして、人間が本来持っている勘や感覚も使う事なく、なんでも操作ができる環境になった。確かに便利にはなったけど人間の脳はどんどん衰えるばかり…。それと同時に物へのこだわりや「ありがたみ」も感じなくなる。全ては便利な「ユビキタス」によって、脳の機能が欠落し続けるということになる。音楽の世界でも同じです。アナログからデジタルCDに移行し、今やダウンロードしてipodで再生。それこそジャケットデザインも見る事なく音源は素材として聞くようになる。見るものブックレットの写真や歌詞から感じるイメージや世界観、シチュエーションや映像を思い浮かべるという想像力もどんどん欠落の道を辿るというなんとも悲しい現実。そんな事を繰り返していると、「なんでもいいや」とか「どうでもいいんじゃん」みたいな興味を示さない残念な声が聞こえてくる。便利な事が実は、人間本来の感覚や脳の機能を低下させ、欠落させていくと僕は思うのです。それこそパソコンの登場とマウスのお陰でかなり便利になって、ペンを使わなって漢字が書けない読めない人達が増える一方。スイッチ1つで暖かいエアコンもボタン1つでご飯が炊ける炊飯器も、トイレだって最近では掃除までしてくれる…。人は綺麗なモノに敏感で醜いモノには鈍感になって行く。ってどうなのよ、それって。

機能性ばかり追求し続ける現代において「ユビキタス」という基準は確かにものすごい。さらには高齢者や障害者の方々には非常に有効的なテクノロジーでありその便利さは役立っているのは言うまでもありません。でも、一般的に普及が進むと人々が感じる想像力や感情もどこか儚くなる、そんな気がします。ある人はこう言います。「現代人は想像力が無くなった」と…。その背景には、便利になった社会と人々の価値観。便利になる分、人々の心が欠落して行く。そんな絵柄が僕には見えてくる。便利なお茶より美味しく入れられる急須の事をもっと考えて欲しいなぁ、なんて思うのです。やっぱり急須でいれるお茶は美味しいですよね…。

日常品が便利になる一方で、僕がいつも考える事。それは「感覚の欠落」。やっぱりアナログ人間な自分を感じつつ、火加減を調節しながらご飯を炊いたり、トイレは自分の手とブラシで掃除がしたい。人々がペンを持って絵を書いたり文字を書いたりは本当に無くなってしまいそうで不安になる。便利なゆえに欠落するものは、これからいくつ登場してくるのだろう。人々の想像力は機械のように冷たく無機質になってしまうのだろうか…。また、こんな便利な「ユビキタス時代」だからこそ「アナログな機能」を探して新しい発見をして欲しい。なんて思う今日この頃です。とか言いながらドラえもんの「どこでもドア」は欲しくてしかたがないSei2でした(笑)。それでは、また。

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タイポグラフィ

ここ数日ついつい難しい話ばかりになってますが、お気楽な感じで読んで頂ければ是幸い。デザインをテーマにしたエントリーだけどもはや僕の中では全て同じ…。僕が思うところの解釈ではデザイン=仕事><仕事=デザイン+楽しい。何かを始める事、終える事。人が関わる部分にはデザインの発想に置き換えると意外と簡単だったりする。仕事とはみんなで何かを作る事。人事も会議もデザイン的な発想がそこにあればきっと「楽しい」と僕は思う。専門的だからとかデザインってよく判らない?とか…。大きな視野で全てをデザインと思う事…。なんとなく楽しそうでしょ。

emigre_9.jpg今日のお題は「タイポグラフィ」なんですが、いかにもカッコイイ呼び方。日本語にはこれに正確に当てはまる言葉が見当たらない。例えば組版とか文字印刷という感じなんだろうか…。アルファベット中心のタイプセッティングやロゴタイプが増えたので、いわゆる用語としてタイポグラフィって使われるようになったと思われます。またこの辺の用語は結構面倒臭い。特に英文ではタイプの名前やフォントの意味等、たいていは文字印刷の技術の流れから伝統的な部分があったりするので勉強が必要になって来ます。今や日本の漢字やかなも種類が増えたけどタイポグラフィというと和文より英文かなと、そんな気がします。特にアジア圏で使われる北京語やハングル文字等ではタイポグラフィの表現の難しさがある。また、この「タイポグラフィ」はアメリカやイギリス、さらにはスイス、デンマークあたりからからまるで流行のようにグラフィックデザインの一部、もしくはメインで新しい感覚として日本のデザイン業界に入り込んで来た…。もちろん英文を多様するようになった日本社会と業界の変化がここまで来た要因だと僕は思う。そして文字をいとも簡単に使えるマッキントッシュのお陰で業界基準にもなったポストスクリプトやアドビタイプマネージャ、いわゆるATMによって文字の表現が広がりを見せる。特に和文フォントも需要と供給に応じたシリーズ書体が登場し、写植の頃から言えば数段に扱いやすくなった。とは言えなかなか和文のタイポグラフィは見かけない…。また、価格帯も英文に比べると高く、制限も厳しいので扱いにくさもある。英文のようにフリーフォントもかな以外は無いのが現状です。海外のサイトには無数のフリーフォントサイトが存在しているのに…、である。ちなみにグーグル等で「FREE FONT」で検索すると無料でダウンロードできるサイトがたくさんありますよ…。んで、英文フォントは一般的なところではアドビが主流だけど、エミグレフォントも代表的な所。特にエミグレは個性的な書体が多く、海外のタイポグラフィに見られるデザインにはこの書体が多く登場している。しかし全てコンピュータという原動がゆえの登場で、デジタル性とソフトの手軽さから簡単に作れるようになった。そして更に「タイポグラフィ」の難しさは、誰がレイアウトしても似てしまうという大きな問題を残しつつ、未だに各業界で登場を見せている。

emigre_sample.jpg確かに英文をグラフィックに取り入れるとカッコイイ。しかし間違って使うと自己満足のように思われるので注意が必要です。和製英語も使うと恥ずかしい思いをします。結構外国人には伝わらない単語もあるらしいですから…。英文を使う時、本当にそれはそこに必要なのか?それはデザインとして活かされているのか?という事をしっかり考えなくてはならないのです。こうして考えてみると日本でのタイポグラフィの表現方法はとても難しい。文字だけでイメージを伝えるためにはフォントファミリーもさることながら、バランスとセンス、その組み合わせが重要になってくる。そして間違いの無い英単語。簡単に作れるようで実は非常に敏感で繊細なタイポグラフィはグラフィックデザインの奥深さ、難しさを感じさせてくれる。解らないと言った方が当てはまる。そんな風に思います。文字はまるで音楽のように使われ、デジタルなイメージを感じさせながらあらゆるデザインに登場している今回の「タイポグラフィ」の世界。ただ文字を並べただけのように見せないテクニックはまだまだ勉強が必要である。書体の1つ1つの造りと微妙に異なるライン…。書体だけで全く違うイメージを作り出す「文字と書体」の虜になっている僕なのであります。でいて、奥深くて気が遠くなる…。なんてな。

◎追伸:英文FREE FONTのお勧めサイトです→ Font Face 辞書片手にダウンロードするべし!

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商業を育てた煙草。

先週の土曜は会社の屋上から富士山が見えました。夕日に照らされての富士山も子どもの頃から比べると何だか小さく見える…。この先ゴミ問題もあって世界遺産になれない富士の山は一体どうなるのか?なんて思う今日この頃です。結局人間の仕業で汚れた富士山。ある人は言いました。富士山は登るものではなく見るものだと…。その言葉の意味に僕は何か考えさせられるのですが皆さんはどうですか?

さて、最近では「たばこ」問題はあらゆるところで耳にします。いまや吸う人だけの問題ではなく1つの公害になりつつある「たばこ」についてお話しようと思います。というか、たばこを作っている人は一体どんな風に今を捉えているのだろう…。そもそも日本にたばこが伝来したのは16世紀の末以降、江戸時代頃にポルトガル人によって日本に持ち込まれたとされています。鉄砲やジャガイモの話は有名ですが、たばこは意外にも日本の風俗として絵画等にも描かれたらしいです。その頃から日本に喫煙の風習が広がり、日本でもたばこの栽培が盛んになりました。喫煙が広まるとともに主要作物の米ではなく、たばこを栽培する農家が増え始め、食料不足を懸念した当時の幕府は、農家がたばこを栽培することを防ぐための禁令を出すほど。その頃から違う意味でのたばこへの避難はあったとされています。そんな禁令にも関わらず、たばこを楽しむ人々は増え続け、江戸時代の庶民を中心に嗜好品(しこうひん)として広く親しまれながら、独自の文化を形作って行ったとされています。その後、明治時代に入ってからは欧米の文物が大量に日本に伝わり、さまざまな物が洋風化し始め、紙巻たばこや葉巻などハイカラ志向となり、江戸時代から続いた日本の喫煙風俗もしだいに変化していきました。その後、新しい喫煙風俗の代表として紙巻たばこ、いわゆるシガレットが流行する事となります。シガレットは、19世紀後半から欧米で本格的に作られるようになり、急速に普及。幕末から明治にかけての日本では、葉巻やパイプをはじめ、紙巻たばこのようなハイカラな風俗のシンボルとして日本人の興味を引いたとされています。そして、当時海外から輸入されたたばこのパッケージの美しい印刷技術やデザインセンスは日本人を刺激し、見る物を驚かせたと言われています。その美しさを真似ようと日本国内ではたばこ作りをする人々が増え、日本の産業を大きなものに育てて行くこととなったのです。意外にも高度成長に一役というところでしょうか…。

poster02.jpgその後、日本では「たばこ産業」と呼ばれるような風習が広がり、大都市を中心に問屋から工場制手工業へ、そして機械制工業へと移行し生産力が向上して行きます。いわゆるたばこ商に資本が蓄積され、近代的な会社形態へと変わって行くのです。こうして成長したたばこ商は、より多くの商品を販売するための競争が起こり、あらゆる媒体を利用した今で言う猛烈な宣伝戦略が勃発したと言われています。有名なところでは、「天狗たばこ」という銘柄のたばこ。国産の葉たばこを原料とした口付たばこを主力商品として販売。その広告は誇大広告的な感じの物だったらしくキャッチコピーや看板、ポスターの広告展開がなされ激しい広告戦争へと、さらに競争率をあおったとされています。その後、大正時代から昭和初頭にかけてたばこの製造は、民営から専売になり、のちに日本専売公社へと大きく成長を遂げるのです。そうして続いた販売戦略は、商品の顔であるパッケージデザインや名称、そしてイメージを重要視し、様々な工夫がされたようです。この頃から国内の商業美術は、飛躍的に発達したと言われています。また、パッケージやポスターの製作には、当時活躍していた商業デザイナー杉浦非水氏という方がデザインを手がけ、商業デザインとして脚光を浴びたとされています。そんなデザイナーの登場で国内の印刷技術も向上し、戦略としての「商品と印刷」の大切さを学びながら、たばこ市場から国内景気へと大きな役割を果たしたと言えるでしょう…。上の写真は当時のポスターで、「国に国防、社交にタバコ。」って…。今ではありえないコピーとその表現方法。また、この頃の宣伝では、英字を使ってはいけないという時期があったらしく、できるだけシンプルに伝えようとする広告の役割が伺える。見るからにたばこのイメージは「お勧め」、「みんなで吸いましょう」みたいな…。こんな時代もあったんですね…。

外国から日本にやって来たたばこではあるけど、日本の商業における「広告とイメージ」の走りと言っても過言ではない「たばこ販売戦略」。いまや嫌われ者になってしまったけど、そんな歴史を紐解いていくと何だか残念に思えてくるのです。もちろん今の時代においても「たばこ」を作っている人達がいる。単純に嫌われ者という前に少しだけその作っている人達を心配してしまう僕は間違っているのでしょうか?その人達に未来はあるのか…。なんて深刻に考えてしまうのです。たばこの「次ぎにくる物」は一体…?ってないか。他の嗜好品で我慢するしかないのかな…。やっぱりヤミ市でゲットなんて日が来るのかもしれませんね…。

ってな訳で、深刻な問題になっている「たばこ」…。体を壊す、死んでしまう害のある煙。そんな事は判ってるわいっ!ってみんな吸っているたばこ。自分を死においやってしまう嗜好品を作ったのは人間。そしてある種「時間をかける自殺」ということなのだろうか…。恐らく「たばこ」に勝てる商品は今後ありえない。いろんな物が溢れる日本にはもはや必要ないのでしょうか…。ちなみに、中国では未だに「たばこ大国」らしいです。海外で人の目を気にせず吸うには中国へ…。なんてね。それでは、またお逢いいたしましょう。
※一部資料として「たばこと塩の博物館」から抜粋させて頂きました。

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色の記憶とデジタルと。

4月だと言うのに肌寒い日が続いてますね。今日は少し暖かいようですがいかがお過ごしですか?こんな時期は体調管理をしっかりと整えて風邪の予防をしておきましょう。桜の木もピンク色がややグリーンに押され気味で新緑がきれいに見える季節になってきました。今日はそんな「色」について思う事を綴ります。難しく考えず気楽にご拝読下さいまし。

process_chart.jpgそれこそデザインワークにDTPが普及する前は、モノクロや2色刷りという印刷の時代もあった。もちろん4色オフセットは高価な印刷として存在していたんだけど、ここ数年でこの印刷もデフレが起こり、いまや4色フルカラーより2色印刷の方がコストが掛かる。Kオフの印刷を対応してくれる印刷業者も減っている。というのが現状です。印刷機の技術、向上もさる事ながら「印刷通販」という流通も始まり、価格帯も大きく変わった。さらには以前なら5%、10%単位の色指定もDTPにおいて今では1%刻みで色指定が可能になった。ここで僕らのようなデザイナーは、色に対する原点をもう一度見つめ、「街に、世界に色が溢れている」という根底を考える必要があるのではと思う。色とは何なのか、どのような配色が必要なのかと、などなど…。例えば、デザイナーがデザインを考える時、数万色とも言われる色を選択し組み合わせて行く。使える色はたくさんあるのにも関わらず、表現したい「色」が見えなくなる、もしくは解らなくなる。という事がよく起こります。表現が出尽くした、とか、新しい組み合わせが見つけづらいとか…。自分の頭の中でイメージする色の表現が偏りがちになる理由としてこのように困惑する要因はたくさんあるのです。そんな時、コンピュータを道具として使うようになって、色の組み合わせ、かけ合わせはモニタ上で確認できるようになり、確認する人も増えた。しかしながらモニタ上はあくまでも仮想、そしてそんなモニタにも色んな種類があって微妙に異なってくる。そもそもその基準が沢山あるのは問題だが、できるだけ指定した正確な色にするためには市販されている「カラーチャート・(右上画像:C100%, M100%, Y80%, BL0% 例)」に頼るしかない。でも、ここにも問題が…。市販のチャートは5%、10%刻みというものがほとんどで、1%刻みの色の確認はモニタと出力でしか確認するしかない。不安になりながら印刷へ手配する。当たり前の事だけど、いわゆる1つの基準として「色」の設定の基準値に基づいてデザイナーは色指定をする。それがコンピュータがデザイナーの道具になったいま、色は“作れる”というものになり、その組み合わせも恐らく数億パターンにもなるであろう。さらに頭を悩ませる状態になるのは言うまで間でもありましぇん…。また、グラフィック=印刷という事で言えば「紙質」によっても色の具合は微妙に異なる。では、何を信じてどこを基準にすればいいのかドツボにハマる一方。このような色の問題を考えて僕なりの答えとしては「色は、経験と記憶」なんだと思うのです。そして感覚で覚えて行くというこれまた職人技を身につける事。デザインする上で「色」の問題は永遠の課題だけど生活しているあらゆるモノを観て試してという地道な努力をして行くしかないのかと…。せめてモニタ基準・プリンターの色基準を統一してくれればどんなに楽になるか。そんな風に思うのです。プリンターもインクジェットとレーザーで全然違うしねぇ。はぁ~、何とかしてよ…

さて、色から感じる香りやイメージもいろいろ考えると興味深い。例えば僕は色や香りで懐かしい記憶が蘇ってくる事ってよくあるんだけど、その記憶にも色の存在はちゃんとある。そして、季節や音までも蘇ってくる。そんな風に考えていると「色」はそもそもアナログなものであり、自然の中から生まれて来たものだと確信できる。人はいつしかアプリケーションで色を操るようになり、色彩という感覚は無情にも乏しくなる一方…。そして、デジタル=色という概念にとらわれつつある何とも寂しい現実。もはや色はデジタルで再現される物となってしまったのです。色から感じる自然、風景、商品、記憶から見える色の表現力はさらに進化をしていると思います。それを良しとするかいなか…、なのである。色彩は大きく分けて2つある。赤やオレンジの暖色系とブルーやグレー等の寒色系。そしてモノトーン。その色の固定観念に基づいて様々な商品が世の中には溢れている。そして人々のその感じ方は微妙に個人差があったりする訳で、そこに至るまでの製作過程には、疑似的な印象から誕生したあたかもそこに存在しているかのように具現化して表現して行く。デザインをつくるために必要な色は、昔のように暖かくさわやかな自然や情景を連想させるものではなく、コンピュータやソフトが作り出したデジタルな加工色。苺は赤い、みかんは橙色という概念もそのうち変わってしまうような…そんな気がしてくるのです。そしてまた、何か色を例える時も苺のような赤とは言わず○○品の赤と言うように自然の物からではなく携帯や家電、車等から伝えようとする。その位色の種類があるという事だろうが、何となく寂しい気がします。でもそれも現実…。色彩を感じることができる地球に居ながらにして大切なものを破壊していく。デジタルは所詮、仮想と手法。デザインに必要な色そのものは、あくまでも自然で優しく表現の中で引き立たせるための大切な役割。しっかり学習してその奥深さを感じながらセンスを磨き歩んでいくのだ…。なんてな。何だか難しい世界に入りそうですが、そんな風に考えながら僕は、屋上に佇み中目黒の街並を見下ろすのでした。それでは、ごきげんよう。

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イメージ戦略の在り方?

すっかり春陽気で風も清々しい今日この頃、いかがお過ごしですか?ここんとこ作業も落ち着き気味。とは言え、やる事がいろいろあってのんびりモードの中にも緊張感と焦りはいつも通りのSei2です。

さて、この4月は何か新しい事、新しい出会いがたくさんあって気持ちも新たに沸き上がってくる力を感じながらって感じですよね。お気づきの方もいると思いますが、少しテンプレを更新しました。ブログパーツなんかも取り入れたりして、こんなちょっとした事でも僕なりに「新しい気持ち」に浸っています。というか単純とも言いますが…。ページ上で音楽が流れるというのは実に心地良い。まぁFlashとか貼付けるとご覧になれない環境の方もいると思います。とりあえずマクロメディア・フラッシュプレーヤー8以上が必要になりますのでダウンロードをお勧めします。現状としてOS9でIE5.1以下の方からのアクセスは1%に近いので思い切って未対応とさせていただきました、すみません(汗)。とは言いつつも僕のデザインワークにおいては、未だにOS9環境を使っています。将来的にはバージョンアップをせざるおえないんでしょうが、何せソフトをはじめ高価なフォントも一式買い換えなければいけないのでよっぽどの事がない限りありえないというのが現状です。確かにハードやソフトを新しくすることでワクワクしたり、うれしくなったり…、そんな感覚は仕事にも良い影響を与えます。でも、やっぱりMacは高い、ソフトも高い…。儲かって余裕があれば導入したいところではあるけど、なかなかねぇ…。前置きが長くなりましたが、今回のお題は「広告とイメージ」をテーマにお話します。

pepsi01.jpg毎年4月は新しい変換の時期。各企業は新商品を出したり、イメージを一新したり目新しいCMでのイメージ広告も目白押し。そんな中で僕が気になったのは「ペプシコーラ・NEX」の広告。イメージキャラクターには知名度の高い3名(福山雅治・妻夫木聡・沢尻エリカ)を起用し、お洒落な感覚と主張の強さで若者向けの拡販を狙っています。特にカロリーオフの商品は競合会社のコカ・コーラでも今後同じような商品展開をして来ます。このコカ・コーラはアメリカ的なイメージを常に心掛けている反面、ペプシのイメージでは全く切り口が違うコンセプトですよね。以前ペプシは「ペプシマン」なるキャラクターを確立し、それなりに印象づけた広告展開でペプシマンを登場させ、ロングランのイメージキャラクターでした。2社共に同じ「コーラ」を主力商品とし、その商品差別化のイメージ作りはとても面白い。ペプシコーラを調べてみると意外にも歴史は古く、日本では1947年、米軍用として上陸したのがはじまりでした。一般販売の許可は下りず1957年にようやく販売開始。そして翌年に日本ペプシコーラ株式会社が誕生し、リターナブル瓶として一般家庭に普及したとされています。当時の販売価格は35円。その後1975年には低カロリーをコンセプトにした「ダイエットペプシ」が初めてお目見えし発売開始。1981年にはなんと競合メーカーと争うキャンペーン「ペプシ・チャレンジ」が勃発…。コカ・コーラとの比較試飲で2人に1人がペプシを選んだとされているらしpepsi02.jpgいです。ってか、もう1人はコカ・コーラを選んだの?で勝負は五分五分だったのかな(笑)…。右の写真は当時のキャンペーン広告ですが、「くらべて決めよう。あなたのコーラ。」なんて挑戦的かつ強気なキャッチコピーが妙に同意の上?って思えてくる。こうしてみると2社は常にお互いを意識しながら共に共存し、そして急成長を遂げたように思えます。今でもその差別化は続き、新商品は同時期ではあるけど広告とイメージの企画性は全く違うところに僕は広告の面白さがあると思う。

現代社会における各企業の広告は、さほど差もなく横一列だったり…。どれも没個性な感じ、狙いが見える判りやすいイメージが横行する中で、今回取り上げた「コーラ戦争」は、広告の在り方やイメージ戦略の面白さを消費者にさりげなく露出している。推測ですが、そこがとても興味深く面白い。両者比べる人もそんなにいないと思うが、コカ・コーラはアメリカの古き良き時代を現代に繋げ、映画のようなストーリーとファミリー層狙い、そして元気なイメージ。対しペプシコーラは、より日本人に合わせたリアルなイメージと流行。そしてポイントに絞った顧客ターゲット狙いでどちかかと言えば庶民的な戦略。それが逆に両者を見る側、僕らを楽しませてくれます。ライバルのようでそうではない、実は協力しあっている。そんな風にさえ見えてくる。国内メーカーの中でこんなにも1つの商品を対立させ、広告展開をしている企業はそんなに無いような気がします。企画の楽しさと遊び心の力。そして、同じ飲料の広告デザインでも全く結びつく事のない面白さや豊かさがあるんだと思いました。とは言え、対立してきた歴史は、「コーラ」という商品ならではなのかもしれませんね…。

ってな訳で、今回のエントリーでの意見はあくまでも僕の推測ではありますが、清涼飲料水の中でも広告戦略が奥深い今回のコーラのイメージなお話。それに対し同じように感じる「お茶」や「アイソトニック系」も、その位の対抗意識丸出しで見る人を楽しませて欲しいものです。いつか市場には没個性ではなくオリジナリティ溢れる商品ばかりになって、機能性もさることながら選ぶ人、使う人を楽しませてくれる広告と商品でいっぱいにして欲しい…、なんてね。それができればブランディングも簡単?だったりしてっ。それでは今日はこの辺で。

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美と再生の力。

せっかく咲いた桜もそろそろ散り始めましたね…。雷鳴るわ雨降るわ黄砂来るわで大変な時期でしたね。まぁ短命だけれども沢山の人に見つめられてある意味幸せ?なのかな…。また来年いい花咲かせていただきましょう。

さて、皆さんは「グレゴリー・コルベール〈Gregory Colbert〉」という写真家をご存知だろうか。旅をしながら自然と人の関わりをずっと撮り続けているカナダ人の写真家なのですが、キャリアを調べてみると、パリで社会問題を扱うドキュメンタリーフィルムを制作することから彼の活動は始まり、映画制作の分野から芸術写真分野へと転身。1992年には、スイスのエリゼ美術館や日本のパルコギャラリーで出展等、各地で活動をしている方です。今回は、たまたまエキサイトのトップページに紹介されていた特設コーナーの内容を基に、また、テレビCMでも放映していた東京・お台場で開催している作品展(開催中~6月24日まで)の情報と彼の作品についてご紹介しようと思います。nomadick.gifまず、その作品テーマは『ashes and snow ~人と自然が交わるアート~』そして『美と再生』。365日の旅に出た一人の男が妻に向けて綴った365枚の手紙。その手紙の中で描写される動物達と人間の出会いや体験をテーマに基づき50点を超える写真と映像で紐解いて行く。という具合…。サイトから抜粋した記事によると、誰にも真似のできない叙情的なタッチで15年にわたりその究極の世界を追求し続けて来た写真家グレゴリー・コルベール。時計メーカーロレックスの支援を受けて2002年のヴェネチア・アーセナルを皮切りに『作品展:ashes and snow』がスタート。その後はニューヨークのハドソン・リバー・パークに移動。この時、日本の建築家の重鎮「坂茂 氏」が美術館の設計を手掛け、移動式仮設美術館「ノマディック美術館」として完成。全国を駆けめぐるようになったのです。今月の1日までは六本木ヒルズでも開催されていたようですが、現在では東京・お台場に移動し開催中です。また、その「ノマディック美術館」は、外壁には貨物用コンテナ、屋根と支柱に紙管を用いる等、建材のほとんどはリサイクル資材を利用しているところも時代背景に合わせた展開。継続できる要因にもなっているようです。いわば再生可能な資材を使う事で維持可能な移動式仮設美術館が実現できた。という訳ですね。
official site: ashes and snow/infomation site: excite izm

gregoly.jpg僕が感銘を受け、目を見張ったのは全ての写真・映像はCG等の合成加工は一切使用せず、リアルな表現で人間と動物との関わりを何とも美しく描写しているという事…(右の写真参照)デジタル処理が横行する中で生々しいその姿と美しさにはただただ感動ものです。一瞬目を疑うようなその作品達は、人間と動物は共存できるのだと言う姿を表現し、かつ自然で力強いのです。僕は心が研ぎすまされるようにハッとして言葉が出ない…。主な作品では、コルベール氏の過去10年間にわたる40回以上の探検旅行を重ねながら、実に様々な動物と出会い、その動物たちと自分、僧侶やダンサー、サン族の人々等、その地域に生息する様々な人、民族との係わりの中で人間と動物の素晴らしい交流を写真と映像に収められている。まさに「美と再生」というテーマそのもの、人間本来の姿がリアルに写し出されていると思います。さらにそんなノマディック美術館では、単なる鑑賞に浸るという形式ではなく思考をこらした展開があるようです…。例えば、映像では映画監督のピエトロ・スカリア、日本語のナレーションは俳優の渡辺 謙さん、英語版ではローレンス・フィッシュバーン氏といった世界を代表する錚々たる人々がコルベール氏の作品公開のために集結しているのです。みんなが1つになって成功させるモノ創りとは単に成功させるという事だけではなく、成功から感動へと繋げ、メッセージを人々に伝えて行く事…。そんな活動を僕もいつかは実現したいと思っています。とにかく、まずは自分の目で確認するために観に行って来ます。機会があったらまたここでご報告させていただきますのでお楽しみに…。

という訳で、いまだ観に行っていない情報ではあるけれど、オフィシャルサイトを見るだけでも作品の持つメッセージは受け取る事ができるかなと思います。また、美術館巡りのお好きな方にもお勧めの情報だと思います。人間も動物と同じなんだと再認識できるその写真や映像には本来の人間の姿が写し出されていると本当に思う。そして、コルベール氏の伝えたいメッセージには「愛と平和」をビジュアル化にした形がある、そんな風に思います。僕にとってこの作品展との出会いはふつふつと自分の中の何かが動き出すような、何かを変えなくてはと思うじっとしてはいられない、そんな気がしてやまないのです。これからも大いに芸術の場に足を運んでみようと思う今日この頃です。「美と再生の力」、本日これにて終了。それではまた…。

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テーマ:思うこと - ジャンル:学問・文化・芸術

覚悟と仕事。

桜も満開ピーク。せっかく咲いたのにこんな天気じゃね…。皆さんはいかがお過ごしですか?新生活を始める人、就職して社会人としてスタートした人、新しい学校に入学した人…。4月は何か新しい空気が流れてる気がします。そんな「はじめ」の気持ちを忘れずに新しい自分も発見して充実した毎日を送ってください。

さて、今日のお題は「受け方、断り方」について思った事を綴ってみます。僕のようにデザインの仕事をしていると「受ける」仕事が基本。もちろん営業的な動きもしたりするけど仕事の8割は受注というスタンスです。そんな時クライアントである会社と取引する訳ですが、より的確にモノ作りをするためには「ご担当者」とのコミュニケーションが大事。これは何の仕事でも同じなんだけど、「お互い相手の立場になって」という思いやりの気持ちがあるかないかで1つの作品のできが違う。見た目には出さないにしても達成した時の感覚は全く違います。僕の場合は「相手の立場や性格」を分析し、その人の求めるデザインとは何なのか?それは正しい企画なのか?エンドユーザーにとってそれは本当に必要なのか?等の部分を全て集約しつつ自分の発想や経験で形にして行きます。しかし、相手の方が僕らの事を「業者」という感覚で発注してくるとまったくお話になりません。特にワンマンな社長さんから直接依頼がある場合に多いのですが「あんたは俺の言う通りに作ればいいんだよ」みたいな態度…。ある程度人生経験をしてくるとそういう気持ちはすぐさま受け取れるのは言うまでもありません。受ける態度も「あぁ、この人はこういう人だから…」みたいなモチベーションでデザインするというのははっきり言って作りたくないし、意味もない。また、そういう人に限って聞く耳も持たない人だったりするのでそりゃもう大変。気苦労ばかりでいいデザインも生まれてこない。

はて?そういう人と向き合って行くにはどうすればいいのか?僕なりに考えてみました。そういう人の場合、こちらの話をあまり聞かないのでとりあえず相手の話を最後まで聞きます。そして反撃するかのように自分の仕事の進め方、価値観、予算と制作時間を相手がちゃんと理解するまでしつこい位に伝える事です。その部分が理解できたかどうかまでちゃんと確認し、それでも解って貰えない場合は、理解するまで仕事を受けない。これは非常に難しいとは思いますが、僕は自分の会社を設立する前までは来るもの拒まず、という感覚がありました。もちろん食べていくためには、という具合でそういう人の発注もそれなりに作り上げて来ました。でも、いろいろ過去の事を振り返って考えてみるとそれは結局自分が大変なだけで、得るものがない場合が多いのです。また、そう言う人に限ってはそんな気苦労もしたのにも関わらず平気で値引きや修正を入れてくる始末…。これってリスクは大きいし作り上げるモチベーションも上がらず、辛いのは自分。という結果になる場合がほとんどです。最悪の場合、丁重にお断りするという事も考える必要もあります。何でもかんでもではボランティアのような仕事になる訳ですから…。そんなに世の中甘くないって思うかもしれませんが、どこかで自分のスタイルを確立させる事。デザインに力を注ぎ、いつまでも好きな仕事を楽しくするためにはクールになるしかないのです。そうは言ってもとても難しい問題です。仕事があってこその職業な訳ですから。バランスをしっかり考えながら「楽しい仕事」にして行きましょう。

ってな訳で、少々愚痴も入ってしまいましたが、どこかで線を引いて行く事も非常に大切な事だと思います。嫌な仕事をしないんじゃなくて、いかに楽しい仕事にするか、できるかがデザインの仕事には必要な事なのです。ワンマンな社長も納得させてこそ楽しい=いいモノ作り。社会の中に様々な課題はたくさんあります。何の仕事でも同じです。楽しくするためには何をどうすればいいのか?この気持ちは新社会人にも忘れないで欲しいなと…。なんて思う今日この頃です。自分を作るのは自由です。会社に埋もれてただ生きるより、何かを見つけ作り上げるクリエイティブな発想で頑張ってください。卒業おめでとう、そして新生活おめでとう。何かを変えるのは一人一人の小さくても思いやりの心と覚悟。新入生、新社会人、そしていつも頑張ってる皆さんも正しい覚悟はできていますか?何かに向かっていますか?…。夢は叶うためにあるものです。間違ってるかもしれないけど何でもやってみる事。人はそういう風に成長していくのですから…。そして「この世は修行」です。それでは、またお逢いしましょう。

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テーマ:働くということ - ジャンル:就職・お仕事

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sei2prof
グラフィックデザインをはじめ、
企画力とコンサルティングを武器に
つねに新しいデザインを追求しながら
熱く走り続けて20年余・・・。
デジタルデザインが当たり前のいま、
切った、貼ったのアナログデザインの
経験を活かし、あくまでもMacを
道具として使うデザイン中毒者。

このブログでは、世の中の全て、
身近な物にもデザインは存在する。
という観点で熱く語ります。
楽しくなければデザインじゃない。
遊ぶように前向きにってことで・・・。


・日高 聖二 Seiji Hidaka

・神奈川県川崎市生まれ

・10代から独立心が強く
 様々な挫折をしながら経験を積む。

・21歳、家族の勧めで広告業界へ
 営業と版下のノウハウを覚えながら
 独学でデザインの基礎を身につける
 20年以上のデザイン経験者

・2003年 12月2日 デザイン会社
 SEI2 GRAPHICS&CO. 設立

・座右の銘:この世は修行

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